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大野神社 埼玉県鴻巣市

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大野神社のご案内plan

大野神社記

ゲストルーム

当社は元来氷川神社で祭神は須左之男命大國主命(大巳貴命)の二神であり
ました。
第六十一代朱雀天皇(923−952)の御宇天慶元年正月箕田源氏の祖と
傳えられる源の仕が造立した宮であります。
鎌倉末期に改築されその後文禄年中に北條の家臣道祖士満兼が再建に努力さ
れました。
当時は梅本坊別当後本習院となり慶安5年享保6年天保9年と社殿の改修が
行われたと伝えられております。
明治6年4月村社、
明治8年拝殿建立、
明治37年9月5日境内(現2500坪)が社地となりました。
明治40年5月8日大間地内の無格者”天満社、淺間社、八幡社、稲荷社、
諏訪社”を合祀祭、7月18日大字北中野地内の無格者”津門社、天満社、
須賀社、三峰社”を合祀、
大間の(大)と中野の(野)をとって大野神社と社名を定め、
明治41年4月記念の合祀祭が行われました。
明治44年1月7日神饌幣きん帛供進社に指定され神格神威益々高まり、
敬神の心は深まり地区住民のみなさんの心のより所となりました。


大野神社 御由緒

ゲストルーム

御遠縁起(歴史)
「風土記稿」大間村の頃に 「氷川杜 村の鎮守なり、別当を本習院と云」 と載るように、当社は元来氷川神社と称していました。 それを大野神社と改称したのは、 明治40年7月18日のことで、 同日に大字北中野字津門の村社津門社を合祀したことに伴うものでありました。 この氷川神社の由緒については、別当本習院の後裔(こうえい)で、 神仏分離後は復飾して神職に転じた吉田家が所蔵する 社記「大間氷川神縁起」に詳しく、 その要点をまとめると次のようになります。
当社は、天慶元年(938年)に、嵯峨天皇の末流の渡部仕(つかう)が
大巳貴命の託宣によってこの地に社(やしろ)を造営したことに始まるもの
で、長元3年(1030年)には源頼義が平忠常の謀反を鎮めるために戦い
を何度も挑んだが勝利を得られなかったため、当社に獅子頭を掛けて願成る
ことを祈ったといいます。
また、神力によって、天永元年(1110年)に沼(現在の逆川)に沈んで
いた阿弥陀像を引き揚げ、正嘉年中(1257年〜1259年)の干ばつ
には雨を降らせ、延元2年(1337年)には疫病を退散させるなど霊験
あらたかであったが戦乱によって荒廃しました。
社記の記述はここまでですが、その後、村の再興と供に神社も再建された
ようであり、「明細帳」には天保年中(1830年から1844年)及び
明治5年には社殿が老朽化したため、再建が行われました。



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大野神社

〒365-0054
埼玉県鴻巣市大間2丁目11の26番地鎮座

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